6 滑川の道路の発達と昔の産業
(1)滑川の一里塚
一里塚は、安土桃山時代から江戸時代にかけて設置、整備されたところの交通路の距離を示す土塚である。 一里塚というように、一里(現在の約4キロメートル)毎に土を高く盛り上げた塚をつくり、樹木(榎)を植えて、旅の道しるべ(里程標)としたものである。
現在の日立~いわき線(市道)は、江戸時代の岩城相馬街道で、釈迦原の地に一里塚があったといわれている。 滑川一里塚は、滑川が十余の坂のある難所な道であっただけに、旅人をほっとさせたことであろう。(日立の一里塚は、南から田中中、森山、下孫、助川、滑川、小木津、の計6か所である。)
参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載