(2)滑川浜館遺跡と滑川浜館
①滑川浜館遺跡
日立バイパス改築工事に伴い、発掘調査が平成5年7月より12月まで行われた。 調査結果によると、この遺跡は、旧石器時代から中世期にわたる長期間、人々の生活が営まれた複合遺跡であることがわかった。 特に中世期頃の遺構、堀立柱建物跡や帯曲輪(帯状の土や石のかこい)が出たことは、小野崎氏による滑川浜館を解明するための手がかりになると思われる。
● 遺構
- 竪穴住居跡5軒
- 堀立柱建物跡(穴に柱を立て、床を張った建物で中世期の館跡と推察される)2棟
- 方形周溝墓(四角の溝で区切られた墓。古墳以前の豪族の墓と思われる)3基
- 土坑(地面を掘り下げてつくられた穴。用途は食料の貯蔵、墓、落し穴等が考えられる)32基
- 溝2条
- 道路跡1条
- ピット(柱や杭の穴のように小さい穴)201基
● 遺物
- 旧石器時代・・・ナイフ形石器
- 縄文時代・・・縄文土器破片(早期)、石鏃
- 古墳時代・・・土師器、鉄製刀子(小刀)、石製管玉
- 奈良平安時代・・・土師器片、須恵器片、銅製銙帯
- 中世・・・土師質土器(杯)、須恵器片、陶磁器片、鉄滓、永楽通宝等
①滑川浜館遺跡
滑川浜と清水浜を結ぶ道路沿いの、海を臨んだ丘陵地帯の東端に、滑川浜館跡がある。 「新編常陸国史」に「その規模 方二丁余 とあり、延徳年間(1489年~1491年)小野崎直通の居りし所」云々と書かれている。 その後、直通は、会瀬村の相賀館(助川初崎海岸上の崖地)に移り、同族の小野崎左衛門がその後に入ったが、天正13年のいわきの軍勢の侵入により敗れ去ったという。
※小野崎氏一族
小野崎氏は、平将門の乱を平定した藤原秀郷を祖とし、数百年にわたり、佐竹氏の有力な家臣として政治、軍事面で活躍してきた一族である。 小野崎氏は、はじめ常陸太田の瑞竜に小野崎城を築いたが、後、友部山直城(十王)へと移った。 そして、小野崎氏の一族は、石上城のほか、県北の各地に多くの城や、館を構えて勢力を培った。観音院の開基も「天文3年小野崎某の請により」とある。(滑川の地名、滑川浜館遺跡参照)
参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載