5 滑川の自然と景勝
(1)滑川八景
滑川八景は江戸時代末期頃にできたとする説もあるが、現在の滑川八景ができたのは、大正初年(1912年)頃太田陸舟により作られたものである。 陸舟は、高萩の手綱に生れ、短歌や水墨画などをたしなまれ、晩年は常陸太田で昭和30年頃没したようである。 八景の起源は中国の瀟湘八景で、日本には、中世のころ禅僧によって紹介されたものである。日本の八景で最も有名な八景は、博多八景、近江八景、水戸八景であろう。 水戸藩主徳川斉昭は、天保4年藩内に八景を選び、翌年、自筆の書による石碑を各八景の眺望地点にたてた。 茨城県北部には32の八景が存在し、そのうち日立には滑川八景など10の八景がある。水戸八景や滑川八景は、典型八景といって瀟湘八景を模範としてつくられたものである。
1.北釜の夕照
「北釜に汐くむ海女のかげ消えて松の梢に残る夕映え」
滑川浜では昔、塩たく釜が幾つかあった。汐くむ海女の姿や塩たく煙り、そして落陽、そんな夕映えの美しさをとらえて詠んだ歌であろう。
2.田島の秋月
「うき雲のはれてうれしく見ゆるかな田島の星の秋の夜の月」
田島は現在の滑川中学校の南のあたりで、水田や小高いところもある。秋の収穫期、多忙の中にも、田島の空に見る中秋の名月は、格別だったと思われる。
3.小幡の落雁
「友呼ぼう声高鈴の峰越えて小幡の田面かり落つるなり」
小幡には阿弥陀堂があり、屋敷林も残っている。高鈴山に太陽が落ち、雁の落りくる風情は、人びとの心に安らぎを与えたことであろう。
4.烏沢の夜雨
「賎が家の灯りほぐらき烏沢いとしずかなる夜の雨かな」
烏沢は細長い沢沼の地で、大樹が茂り、昼でも薄暗い場所だった。貧しい家が2~3軒あるだけで、特に雨の夜などの淋しさと静寂さは、独特な風情であったろう。
5.館跡の晴嵐
「館跡の松に風の音たえて晴るる海路を唐船の行く」
むかし小野崎直通の館があったところで、小高い丘から海原を望む景は素晴しいところである。松の梢に潮騒の音、沖ゆく船と詩心が湧く。
6.六所の暮雪
「山の端に夕ぐれそめてふる雪に六所の木々は六の花さく」
塩釜神社付近を六所平という。鞍掛山の山の端一帯に降る雪の景を詠んだもので六の花とは氷の結晶であろう。
7.海雲山の晩鐘
「花おしむ人の家路をいそぐかな海雲山の夕ぐれの鐘」
むかしの海雲山観音院は、今の六号国道上にあった。大正2年火災により焼失し、現在地に移建された。現在地より一段高い丘より眺むる景は絶景であったろう。
8.清水の帰帆
「真帆白く海は碧にゆう映えてすめる清水にかえるつりふね」
清水浜附近は名のとおり、清水湧く地で、所沢川が注ぐ。白い砂浜の海岸に帆船が帰ってくる。海草や魚介類も多くとられたという。
<滑川八景地図>
参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載