(4)滝作の溜と北川の水車
滝作の溜は、北川の上流にあり、今より約300年前、時の奉行、望月恒隆が水戸藩初代藩主徳川頼房の意を受けて、農業用水や洪水の調整池として永田茂衛門親子につくらせたものという。 溜は、上の溜、下の溜の二か所があって、上の溜は滑川浜の用水として永年わたって使用されてきた。 一説によると、水戸藩がこのような施策をとったのは、寛永の検地が厳しかったので、農民の間に怨嗟の声が高まり、それを静め、懐柔するために行ったものという。
北川は、農業用水としてばかりでなく、昔の人々にとっては、生活に欠かせぬ川であった。すなわち、下記図にも示すとおり、北川の上流から中流にかけて、五基の水車が設置されていた。 この水車は、今はなくなってしまったが、昔は、この水車の力を利用して、製粉、精米を行っていたのである。
参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載