(5)滑川浜の砂鉄
天保15年、滑川村百姓、六左衛門が村の困窮を救うため、伺書を水戸藩の役所へ出している。 この伺書によって六左衛門の希望が達せられたかどうかはわからないが、産業を興そうとする農民の熱意が伝わってくる。
砂鉄はどのようにして採取されたのか。第2次世界大戦後も、しばらくは、砂鉄採取事業が行われていたようで、 それによると、舟と称する箱の中に、原料の砂を入れ、上から川の水を掛けて流す。比重の軽い不純物の砂は流され、箱の外へ溜まる。 比重の重い砂鉄は残る仕組みである。5人くらいで1日かかって1トン半くらいの砂鉄を選別したという。
砂鉄は乾燥場で大きな釜に入れられ、薪を燃やして乾燥させ、完成品となった。

参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載