(6)滑川浜の製塩

 日立地方の製塩は、鎌倉時代頃より、河原子海岸で行われていた。江戸時代の中頃になると揚浜法という製塩方法が採用されるようになって製塩量は急速に伸びて行った。 天保の頃になると製塩業は、助川、宮田、滑川にも広まりをみせた。天保9年の滑川村の百姓、佐藤權三郎が藩の役所に、公借金を申し出た文書の覚書によると滑川村の製塩量は一万俵あると書かれている。

※揚浜法とは
 ①海水を汲み砂にまき、塩分の濃い砂をつくる。
 ②塩分の濃い砂に海水をかけ、濾過して塩分の濃い海水をつくる。
 ③濃い塩分の海水を煮つめて塩をつくる方法である。

参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載

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