2 (旧)滑川小学校

(1)学制発布と旧滑川小学校の創立

 (旧)滑川小学校は、明治5年の学制発布を受けて、翌6年観音院にて発足し、同年、蔵前に校舎を新築して移転した。
 明治22年、宮田、滑川両村の合併により日立村が誕生し、旧滑川小学校は、宮田小学校と合併して、日立尋常小学校となった。しかし、蔵前にあったこの学校は、火災によって焼失し、学校は宮田の地に移り、その歴史は、現在の宮田小学校に引き継がれたのである。
 滑川小学校を最初に開いた石井磊三氏は、助川城山野辺氏の家臣にて漢学者であった。山野辺氏から支給された御納戸金で、蔵前に土地を取得し、倉跡地(今の稲荷神社境内)に学校を創立した。石井磊三氏の墓は、滑川本町5丁目8番の根本家の墓地にあった(明治36年頃死亡したものと思われる)が、現在はない。

・倉跡地・・・上米蔵があったという。

旧滑川小学校の跡地を示す地図で、現在の滑川稲荷神社の地である。

参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載

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