(4)裸島と西行歌碑

鵜の島温泉の海辺に西行法師の歌碑が建っている。
「大田尻 衣は難幾何 波た可し万 沖吹く加世耳 三に八志萬ぬ駕」

この歌を詠んだ西行法師は、平安末期~鎌倉初期にかけての人で、新古今和歌集に94首も記載されている有名な歌僧である。 西行は、若いときは鳥羽上皇に仕える北面の武士であったが、23才のとき無常を感じて出家し、法名を円位、西行と称した。 高野山や吉野山の山中に庵をつくり修行し、後に関東、東北、四国、九州を行脚し、「千載集」「山家集」などの歌集を残している。
 この歌は、平安時代末期頃、栄蔵という修験僧が、田尻海岸の小島(ぐみ島。今は海中に没してない)に小屋(栄蔵小屋)を建て住んでいたのを、 尋ねてきた西行が栄蔵の貧しい生活ぶりを裸島と結びつけて詠んだものである。 衣を身につけぬ裸島(栄蔵)は、潮風が身にしまないであろうか、という意味である。
 この西行の歌への返歌として栄蔵は、「朝な夕な 浪のぬれ衣 きるものを はだかしまとは なにに名づくらん」と詠んだと常陸国史や安藤年山の書いた「ひたち帯」(元禄年間)に記されている。 しかし、史料「事蹟雑纂」には「栄蔵は衣はなきか裸島 浦吹く風は身にはしまぬか」西行、「父母のきせぬ衣は裸島 沖吹く風の身にはしむとも」栄蔵、とある。 その他、郷土史家、岡部玄徳の著、「石神後鑑記」には、「大田尻衣はなきか裸島、磯吹く風の身にもしまずや」となっている。
 歌は、永い年月の中を伝えられていくうちに、どこかで異なって伝わっていってしまったのではなかろうか。

西行歌碑と栄蔵小屋

参考資料:『滑川の歴史と景勝』画像を一部転載

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